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暗闇に包まれた部屋の中で携帯だけが煌々といつの間にか光っていた。其の画面を只管に眺め続けて得たものは殆ど無い。日々の浪費を行なっている事だけをふと自覚した。仕事が3月から始まりあと少しで半年になる。辛いかと言われたら仕事の内容はそうでも無いのではないか、とは思う。唯、人間同士の悪口が横行していて心が疲弊してしまう会社だとは思う。最近は悪口の嵐にも慣れてきて、其の声を耳から耳へ通り抜けさせる事が可能になった。其れでも無意識に残る喉に突き刺さった小骨のように心に刺さったままの何かの気持ち悪さを常日頃感じ続けている。カーテンを開けたままにしているから、天井には前の道を通る車の光が何回も光っては消え、光っては消えを繰り返す。空気の入れ替えもせず、エアコンが付きっぱなしの部屋は乾燥していてやる気が起きない。部屋もぐちゃぐちゃだ。電波もいつからか入りづらくなり、不便さを増す。そんな中で一つ幸せであると感じるのは住吉に恋人という枠に嵌ると怒りそうな其れでも大切な人が出来たことだ。同じ歳の女性だった。ただ、其れに縋り付き過ぎる節もある。どうにかしなければならない、と思いながら毎日話してしまうのは会社の愚痴ばかりで其れも自分が嫌になって塞ぎ込んでしまう。

最近は食べ物が美味しくない。食事が楽しくない。コロナとかのせいでは無く、単純に食に意欲が湧かず只々睡眠欲にすり替わってしまっている。身体も痛い。今年の前半は割と生きている気がした。また後半になって鬱になってきている。人生で記憶のある限り小学生の頃からずっと気持ちが沈んでばかりで、明るくいられるのは動画を見たり何か自分に興味を向けさせないようにしている時だけだと思う。勿論、自分に興味を持っている時はある。やる事が明確になり其れを手につけてまもない時、とか。

悔しさが無ければ満足して、現状を維持するどころかまたゼロに戻す。そんな毎日を送ってしまっている。満足した日々に満足すると不満が見つかり、其れを解決するためにまた身体を無理矢理起こして作業する。何かしていなければ自信が付かず、生きているだけで自分に価値がある、と胸を張って言えない。付加価値が付いて漸く人前に立つ事が出来て、其の付加価値こそ自分が売る事が出来る価値である、とも考える。

「優しいね」かなりの確率で言われる言葉だ。大切な人に其の言葉をかけると不服そうな返事が返ってきて少し安心した。漬け込もうとしている、其れだけ。そんな返事があった。綺麗な人間は居るかもしれないが自分の欲に忠実であって其れを言ってしまえる関係の人間を好む事が最近分かった。好意を抱く最低限が確りある人に限るが。わがままである事。魅力だと思う。永らく「優しい」は私を縛ってきた。これからも恐らく縛るものになる。しかし其の優しいが本人が感じたのならそうで有る、というスタンスに変えてからは気が軽くなった。わがままを伝えられても其れが此方が喜ぶ事であったりして私がそう感じた事をそう形容するのであれば「優しい」だろう。であるのならば、人がそう言うのであれば其れは優しい、である。

死にたい、よく、死ねる勇気も無いが漠然とただ其の考えに縋るように掴みかかる。一昨日も仕事から帰ってきて、そう思った。死んでしまいたい。日頃よく考える事だから、もう何か感傷的になる事も無い。仕事が終わって眠りについたら其の儘死んでしまいたい。生きていて、良い事があまり想像できない。苦しい事の方が多すぎてパワーバランスが良くない世の中だと思う。唯一心残りになったのは、大切な人の事だった。私が死んでも其れを知る事は無い。其れは良い事で有るかもしれない、彼女を縛るものになって居るから。其れでも。何も分からないまま連絡が一切取れなくなって、何年も過ごす事は有りもしない希望を見せる事になりそうで嫌だ。だから未だ、死なない。死ねない。