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大嫌いな煙草が偶に日常に介入してくる日がある。それも、自分の手によって。

祖母が死んだ。なんや、西の魔女が死んだみたいやな。って机の上にあった缶ピースを気付いたら銜えていた。イギリスのB221で購入したジッポもあったし、醤油皿にもらった猫の皿を煙草で汚した。空は快晴で、夏の気配はここ最近の雨と共に息をひそめた。秋の葉がたてるサワサワという音と遠くから聞こえる救急車の音が絶妙に自分を現実から遠ざけた。何が正解か分からないから、煙草が友人になった。嫌い。匂いが嫌いだった。自分の家系では誰一人、煙草を吸う人がいない。嫌煙一家というか、其れぐらいには耐性がない。あの鼻に残留する、どうしようもない匂いが。口内に残るとれない苦み。感情を表現するより、この苦みは残したかった。人は声を先に忘れ、匂いが一番覚えている。ならば。

煙草は嫌いだ。ただ一番直ぐに気付ける香りでもある。この人の香り。煙草が苦手だからこそ、銘柄もそれとなく分かるほどに匂いに敏感だ。ちょっとした違いも分かる。記憶に残したい物こそ残らないなら、嫌いな香りは嫌でも分かって覚えてしまえるなら。逆手にとって、自分で吸う。然して、頭痛が来てその人の死をかみしめる。ワンルームに嫌いな匂いを最大限に充満させて、感傷にひたれないなら刻みつければいい。